コンポントムのホテルから車を30分ほど東に走らせたところにサンボー村はある。サンボー・プレイ・クック遺跡のある村。
そこに新しく小学校が出来た。
メモリアルのための基金を募って『シャンテ国際ボランティア会 (SVA)』によって建てられたトイレと井戸のある5教室の小さな小さな小学校。
1975年からのわずか4年間で教育を奪われたカンボジア。
それまでフランス植民地時代、シアヌーク時代では東南アジアで一番の教育を誇っていた 。しかし、ポル・ポト政権により僧侶を含む知識人と呼ばれる人間はことごとく粛清・虐殺されて行った。教育者だとばれれば粛清され、迂闊に外国語を口にしただけで虐殺され、学校という学校はことごとく破壊され、とうとうポル・ポト政権崩壊時には全土の教師は10分の1以下にまで減った。新政府になった今でもまだまだ貧困に喘ぐ人たちは多く、教育にまで手が回っていないのが現状だ。
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小学校への進学率は90%を超えるが、ドロップアウトが多く、中学校への進学はわずか20%台。高校になるとわずか一桁台にまで落ちる。オンナノコは更に低くなる上に識字率もまだ70%超えたくらいだという。
この両極端な雨季と乾季のある亜熱帯のカンボジアでは学校も老朽化が激しい。コミュニティの建てた安い素材での学校は持っても2年だという。また、ほとんどの地域ではトイレがなく、使い方の知らない子どもたちも多い。そのため衛生面でも劣等の環境で教育を受けている。青空教室やお寺で授業が行われるのも珍しくない。まだ校舎があるだけましなのかもしれない。そのなかで小学校でも二部制の学校が75%、三部制が2%ほど、ひどくなるとまだ四部制の学校もあるという。完全に一部制にするには17,900の教室が必要だという。
そして何より教育者の育成が欠かせない。
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この日、小学校贈呈式というおめでたい席でカンボジアの現状を目で見、耳で聞き、肌で感じた。次の日、プノンペンで訪れた『シャンティ国際ボランティア会 (SVA)』で改めて統計的に数字で現状を知った。
子どもたちの笑顔の裏側にあるカンボジアの厳しい現状を目の前にして自問自答せずにはいられない。
『あたしには何が出来る?』
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special thanks: 小味さん、内藤さんをはじめとするSVAの皆様 & 久保さんをはじめとする早稲田の皆様。
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